Touring & Travel diary
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05秋 北近畿東海»
関-柘植-東海道自然歩道-信楽-宇治田原町宵待橋 70km
2005年09月26日(Mon)
露営地が民家のすぐそばだったので、早朝に出発したかったが、強風のため中々眠れなかったので、寝坊した。それでも6時半にはテントを撤収し、出発。
まずは関宿へ戻り観光。やはりもう明るい時間にもきちんと見ておきたかったのだ。連休が終わり、今日から平日だが7時前から観光している人が数人。昨日の昼ならさぞかしにぎやかだったことだろう。
この時間では開いている施設はなく、通りをのんびり眺めるだけなので、30分ほどで見学は終了。見学後、駐車場でいつものように朝の身支度をすませ、出発する。
国道25号はバイパスがあるために、旧道は車が少なく、加太川に沿った緩やかな登りは非常に走りやすい。今日は快調だなと思ったところで風がないことに気づいた。昨日までの強風が止んだので走りやすいのだ。
加太の町まではテントを張ってのんびりしてみたいような場所も多く快適だったが、そこからの道は異常に荒れていた。舗装がはがれた場所が多く、これが国道かと思うようなメンテナンス。資金不足で荒れ放題だった西アフリカの主要道路を思い出す。
しばらく走って、道を荒らした元凶に到着。初めて見るような巨大な採石場があり、そこから土石を満載したダンプが毎日無数に走っているに違いない。朝早かったので逆方向の空荷のダンプしか、見なかったが、その数は十分に想像できる。ダンプは加太の町からバイパスに入るため、それまでは快適だったのだろう。
採石場から先は道が痛んだ場所もなく、周辺の草木に砂埃が堆積している様子もない。峠は伊勢と伊賀の国境。関所だったのかと思うような江戸期風な屋敷が並ぶ小集落が山中に出現し、びっくりした。そこから先は広くてきれいな道が着々と建設中。これが採石場まで完成してしまうと現在加太経由でバイパスに入っているダンプがこっちを通るのかとげんなり。伊賀の人々は工事の延長を阻止した方が身のためだと思うが・・・。
柘植から旧道に入った。昔の街道なので、落ち着いた旧家が多く、車も少ない。のんびり気持ちよく走っていたが、線路と交差するはずがなかったのになぜか踏み切り。おかしいと思いながらも直進すると、国道らしき道と交差する場所で、この先自動車行き止まりの看板。道を間違ったようだ。普通なら単に行き止まりという看板があるのに、わざわざ「自動車」とあったので自転車なら大丈夫だろうとそのまま直進。
なんと東海自然歩道に行き着いてしまった。なんとか自転車でもいけそうな道だったので、ままよと突入。しばらくは坂もなく、自転車に乗って進めたが、クモの巣が多く、何度も何度も顔に当たる。もちろん自転車や体もすぐにクモの巣だらけで、げんなり。しかし、なだらかな下りをどんどん進んだために、今さら戻る気にはならない。写真を撮ろうと停車するとあっという間に蚊が寄って来て足はぼこぼこ。10秒で血を吸った蚊を5、6匹殺したほどだ。だんだん悲惨な気分になってきた。木が倒れ、自転車を持ち上げないといけない場所もあるし、崩れかけで、押して通るのも危険な場所もある。後半は急な登りも多く、押しあがる場所の連続。
車道に出られる場所までの距離が分かった上、マウンテンバイクで遊ぶなら楽しそうな道だが、荷物満載のママチャリで、抜ける場所も分からず入る道ではなかった。
なんとか車道に出たが、現在位置はさっぱり。峠になっており、片方に甲賀とある。伊賀上野に向かっているつもりだったのに、滋賀の甲賀へ進んでいたのか? 地図を見ながら現在地を推定しようとするが、全く分からず、どちらに下るか決められない。せめて太陽が出て方向が分かればいいが、曇天で方向も全く分からないのだ。悩んだあげく、下りが始まるまでに数十メートルの距離があった甲賀方面をやめて、そこから一気に下った。
着いた交差点は小杉、県道番号まで分かったのに地図上での位置は中々見つからなかった。それだけ予想外の場所だったのだ。現在位置を把握した時は甲賀に下るべきだったと悔やんだが時遅し。当初予定通り伊賀上野を目指し走ることにする。
20分ほど走った中友田でもう一度地図を見てルートを考える。伊賀上野に行くのは大回りのし過ぎで、気分が良くない。いまさら甲賀も嫌などと思い、信楽を目指すことにした。信楽を目指すなら小杉からのルートさえ違ったはずで、またも大回りだが、もう仕方なし。
のんびりした田舎の道を走っていくと、滋賀県に入った。これなら峠もすぐかと期待したが、数百メートルでまた三重県。ここの県境はどうなっているんだ? 滋賀側にも数軒の家はあったが、ゴミの収集など別なんだろうかと要らぬ心配をしてしまう。
車の来ない山間の道をのんびり走っていると今回初めてのパンク。チューブを引き出すとなんと以前修理したパッチの真ん中が裂けている。もしやと思いタイヤをチェックすると小さな金属片がタイヤの内側にあった。前回の修理もママチャリツアー中の7月。その時にちゃんとチェックせず刺さった金属片が残ったまま2ヶ月走っていたのだろう。裂けたパッチをはがそうとしたが、2ヶ月たっているとさすがに剥がれない。うまく行くかと不安に思いながらも一回り大きいパッチを貼り付け修理完了。
峠を越えてしばらくして、信楽到着。20年以上前に信楽あたりは自転車で走っている。その時は煙突のある景色くらいしか記憶がないが、最近のガイドブックなど見ると信楽はタヌキの写真で埋め尽くされている。タヌキが気になり、立ち寄りたくなったのだ。
今回のルートでは町の中心部は通らない。タヌキが見られなければ、立ち寄るつもりだったが、ルート上に点在する窯元の多くでもタヌキが並んでいた。やはりこの景色には見覚えがない。これを見ていたら信楽焼き=タヌキのイメージが着くはず。実用的でないタヌキばかり展示して、売れているのかと不思議に思った焼き物の里。
先ほどの不安が的中。信楽でまた後輪の空気が抜けてきた。コンビニで弁当を食べ、そのままそこでパンク修理。予想通りチューブと古いパッチのデコボコと新しいパッチがうまく着いておらず、そこから空気が漏れていた。
新しいパッチはすぐに剥がれたが、やはり古いほうは剥がせない。今度は古いのと同じサイズのパッチを重なるように貼り付け、圧着も丁寧に行った。これでも不安だが、それ以上どうしようもない。
2度のパンク修理で予定より時間が遅くなり、峠が複数回ある予定のコースを変更。峠が一つだけの道を選んだ。しかし、これが失敗。分岐を曲がってすぐに地図になかった峠が一つ。小さなものだが、下りのつもりが上りというのは少々辛い。
和束町は道の両側に延々と茶畑が続く。宇治茶の本場なのだ、なんとなくこの景色には記憶がある。20年前走った道だからか。茶畑の風景は変わらないようだ。しかし、機械で葉を摘んでいるのを見て、時代の変化を感じる。今は茶摘も機械化か・・・。でも日本で茶摘をしている景色を見た記憶はない。記憶の中の茶摘風景はダージリンとスリランカ、そして雲南である。
和束からの峠は予想外に急で、びっくり。地勢図を出して見ると、当初予定の道の方がずっと楽だったことが判明、道路地図など見てルートを選ぶのではなかった。
おまけに登りでまた空気が抜けてきた。がっくり。途中にあった神社で、パンク修理再び、これでダメなら自転車屋でチューブを換えるしかない。後輪を外すためのスパナは持ってきてないので、後輪のチューブ交換は自分で出来ない。5月に津山でも後輪の連続パンクで自転車屋に4500円使っている。7000円で新車を変えるこのご時勢、片側タイヤ交換にそんな金はあほらしいのだが・・・。
無人の神社はテントを張れそうなスペースもあり、このまま泊まろうかと修理しつつ悩んだが、この辺りの山は立ち入り禁止の看板があちこちにある。松茸山なためこの季節のみの立ち入り禁止というが、金が絡むなら地元の人が神経質になっていそう。無用なトラブルを避けたく先に進む。
宇治田原町で買出しを済ませるともう日没。すぐに夜がやってくる。天瀬ダムの下は快適なテントサイトと聞いていたのでがんばる気だが、明るい時間に着けそうになくなった。
宇治川と田原川の合流直前に河原まで下りる道を発見。車止めがあり、車が下りてくる心配はない。河原に下りてなんとか明るい間にテント設営。釣り人がひとりいたが、真っ暗になる直前彼も帰って、ひとりでのんびり最終日の夜を過ごす。