Touring & Travel diary
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05秋 北近畿東海»
-関ヶ原-養老の瀧-津屋川堤防-長島-関 100km
2005年09月25日(Sun)
台風の影響で夜半から風が強くなった。安物のテントを使っているので、夜中に風で目覚めるとテントが壊れないか心配になる。
風は強いが、朝から快晴。4日目で初めての晴れだ。テントを張った無人の谷は国道のすぐ近く。入ってきた道は荒れており、山奥に感じていたが、そのまま進むとすぐに国道で、逆側にはちゃんと村があった。国道に集落を分断され、一方が破棄された感じだ。道だけ新しい舗装だったのは、破棄するとは思わず国側が分断の代償に整備したのか? 国道整備が終わった来年はまた田畑がよみがえる予定なのかもしれない。
すぐに県境を越え、岐阜県に入った。峠は越えているのでずっと下りの快走路。関ヶ原に入ってまず関ヶ原の戦いで西軍大将の石田軍が陣取った笹尾山へ。
まずは見学の前に、トイレで朝の身支度。久しぶりにトイレに紙がなかった。80年代に日本を旅している頃は、公衆便所に紙などないことが普通であった。しかし昨年から国内旅を再開し、当然トイレもたびたび使っていたが、紙がないのは初めてな気がする。驚いたが、この先5日目の関、6日目の宇治でも公衆便所に紙はなし。地域性だろうか? あるトイレの方が使い方もきれいな気がして気持ち良いのだが・・・。
以前の関ヶ原古戦場は碑と看板があるだけで、印象が薄かったが、今は当時の砦をイメージさせる馬返しの柵や旗が作られ、ボタンを押すと合戦の様子が流れる設備まで備え付けられていた。これなら観光もし甲斐があるなどと思っていたら、朝早くから観光客が次々来た。連休中とはいえこれほど人気があるとは・・・。それにしては土産物屋などなく、質素な場所だ。
東首塚や関ヶ原本陣跡にある神社などを経て、関ヶ原駅前に。ここは20年前とさして変わっていない。東京に住んでいたころ帰省は鈍行列車ですることが多く、乗り換え時に暇で何度か歩いた場所。1軒だけしかない駅前のスーパーも昔のままで懐かしかった。
駅前でこれからのルートを悩む。三重経由で山越えして当初予定通り琵琶湖に出るか、濃尾平野を走るか。決めかねたまま出発。関ヶ原町を出たところにあった「関ヶ原合戦島津隊ゆかりの地」の神社でまたストップし、再び悩むが決められない。
ままよと再出発。急な下りが終わっても、快調で今日はスピードが出る。調子が良いので分岐も曲がる気がせず突っ走ったので、濃尾平野コースが決定した。
写真を撮ろうとしてストップした時に、風があまりに強く驚いた。自転車が立てられないほどの追い風だったのだ。快調な訳だ。追い風だなと感じていたが、これほどの強風だったとは・・・。自転車は風に弱いので、逆方向ならほとんど進めないところだ。今は良いが、午後は走る方向を変えねばならず、少々不安になる。でもこれほどの追い風で走ることはめったになく、実に気持ち良い。台風様様。
一気に養老までやって来た。ここは有名な養老の滝を見ねばなるまい。急坂を押し上がり、滝への車道とロープウェイ乗り場の分岐辺りに来た時に、地元のおばさんの集団に遭遇。別に何も尋ねていないのに、「滝へは車道の方だぞ」と念を押される。乗り場付近に自転車を停め、遊歩道を歩いて滝まで行くつもりだったのに、なぜか乗り場方面はダメと言い張る。
説明も面倒になり、訳が分からないまま車道を進み始めた。歩道と交差する場所で自転車を置いて歩こうと思ったのだが、道は全く歩道と交差せずひたすら車道を押す羽目に。景色は良くないし、車道は滝より上部にまで続いており、結局、かなり無駄な上りもさせられたことになる。
車で上まで来る人もそう多くはなく、滝の人気がないのかと思いきや、遊歩道から登ってくる人で滝は大賑わい。おばさんたちは、自転車の人間に何ゆえ車道で上まで行かそうとしたのか? 全く理解に苦しむ。滝の上部にある駐車場付近から濃尾平野が遠くまで見下ろせ、名古屋の高層ビル群まで良く見えたことが自転車を押し上げた唯一の収穫か。台風一過の好天で、かなり遠くまではっきりと見えていた。ここのメインは滝までの渓流歩きなのか、滝自体は予想外に小さい。自転車を押し上げているので、下りも歩けず、あーあ。
養老まで平地だった県道56号は、その先は山際の集落をつなぐ道と変わり、自転車には無意味なアップダウンが続くようになった。左には川沿いの平らな道が見えているのが、無意味なアップダウンをさらに嫌なものとする。何度目かの上りで耐え切れず、左折した。
どんどん下って、出た場所が津屋川堤防。カメラを持った人がやけに多いと思ったら、彼岸花の群生で有名な場所のようだ。彼岸を含んだ連休の最終日とあって臨時の売店まで出ている。美しい花が堤防にずーっと咲いているのに、人々は駅からすぐの辺りに密集。橋の近くで大きな一眼レフを三脚にセットし、シャッターチャンスをひたすら狙っている人が多い。強風で花が揺れるのでそうなるのだろうが・・・。一方、堤防の散策を楽しんでいる人はほんの数人。花をカメラに残すのも良いが、実際に見てもっと楽しめば良いのにと思ってしまった。一番きれいに咲いていたのは、人が多かった場所よりもずっと離れていたのだ。
さらに堤防と走っているときれいな紫の花が一面に咲いている池があった。ここでも撮影に熱心な人々が大勢。写真をさっと撮って堤防に戻り、金柑拾いをしていた地元の人に花の名を聞くと「水草」。そりゃそうなんだけど・・・。
津屋川の堤防をどんどん南下。揖斐川に合流、さらに長良川。道はずっと良い道で、近所にこんな道があれば、もっと自転車に乗る人が増えるのにと思ったが、自転車に乗っている人は皆無。関西ならいつでももっと多いのに、名古屋圏は自転車が人気ないのか、あるいはもっともっと良い道があってこっちには居ないのか。川では釣りはもちろん、ウインドサーフィンやジェットスキーをする人も多い。近くに大きな川があると良いなぁとつい思ってしまった。バーベキューをする人も多い。愛知に入ったところにあった船頭平閘門の公園では大勢のブラジル人がバーベキュー。近所でこんな良いバーベキュー場所があれば最高だなぁなどと思っていたが、火の使用禁止の看板が・・・。ダメじゃん。そういえば、福井と東海にはこの種の看板にポルトガル語を併記している。それだけブラジル人が多く働きに来ているのだろうか。
本日4県目の三重に入る。スピードの遅い自転車の旅で1日4県なんて、過去にあっただろうか。学生時代に行事として耐久ランをした時くらいしなさそう。(現地ではこう考えていたが、長野県の軽井沢から群馬、埼玉経由で東京に戻ったことがあった。)
長島町で堤防から下り、昔から興味のあった輪中集落をのんびりと走る。水害を避けるため、盛り土をして、その上に家を建てているが、盛り土を支える石垣が華美なものが多く、一見すると金持ち集落のように見える。周りの環境は良いし、名古屋にも近くて便利。住んでみたい場所だなぁと感じた。
国道一号線に入り、方向を西に変わった。追い風が、向かい風や横風となり、それまでの快適ランが一変、苦しい走行となる。昼食後、風が和らいだかと思ったが、徐々に走行方向が南に変わり、斜め後ろからの風となっていただけ。鈴鹿の手前からまた西に向かいだすと苦しい向かい風。何度も何度も休憩したり、少しの上り坂で押したり。早めに露営地を決め、明日風向きが変わるのを待とうかと思い出したほど。しかし、そういう時に限って良い場所は見つからない。
亀山辺りからは完全な向かい風になり、平地でも自転車から降りて押し、下り坂でも立ち漕ぎをする始末。余裕で関宿の観光が出来、その先の山中で露営と、最初は思っていたのに、関に明るいうちに着くかどうかさえ怪しくなってきた。
結局、関到着は18時前。建物まだ見え観光できる明るさだが、もう写真を普通には撮れない。三脚がないので、何ヶ所か場所を見つけカメラを固定、スローシャッター一応写真は撮った。街自体は、古い建物が並んでおり、非常に良い感じ。まだ18時なのに、店がすべて閉まり、人通りが皆無で趣がある。街灯の下で見る宿場町もまた乙なものだ。
前日から懐中電灯が壊れているのに、入手するのも忘れていた。真っ暗になってしまい、困ったなぁと思いながら、露営地を探す。
暗いから少々街中でも河原なら泊まれるはずと川沿いに走ると、町外れで小さな公園を見つけた。柵はあったが河原に降りられそうなので、柵を越え中に入る。『18時から立ち入り禁止、見つけたら警察に通報する』との看板が見えたが、仕方ない。1人で静かにしていれば通報はないだろう。公園から河原に降り、そこでテントを張ることも考えたが、一段上の公園敷地が芝生なのに石だらけの場所に寝ることもないだろう。警察が来たら移動すれば良い。10mほど先の民家に電気がついておりテレビの音が聞こえる。こんな場所にテントを張るのも何なのだが、もう疲れた。
ロウソクの灯りで弁当を食べたあとは、暗くて何も出来ないので、早い時間に横になったが、風の音がうるさく眠れない。夜中まで強風が続き、テントが壊れそうになることも。大変な夜だった。