Touring & Travel diary
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八丈島 -底土港-底土キャンプ場-三根-大里-登龍峠-末吉-大賀郷-底土キャンプ場
2013年11月22日(Fri)
早朝に船は三宅島寄港、大勢の人が下船し、船内はかなり静かになった。天気は良く、船はさほど揺れていなかったが、次の御蔵島は悪天のために寄港しないとか・・・。今日の天気で接岸できないとなると高確率で御蔵島は素通りされるのではないか。目的地である八丈島も今回は条件付運航となっている。条件付運航というのは「接岸できない場合は通過または引き返すこともあるという条件のもとで出航します。」といことで、上陸できない可能性があるということ。八丈島は港が御蔵島より大きく、接岸できない状況になることは少ないはずだが、不安で眠れなくなり、早朝から甲板に出て波の様子を見たりしていた。波がさほど荒くなることのないまま八丈島が近づき、一安心。
ほぼ定刻に八丈島の底土港に到着した。御蔵島下船予定だった乗客は、同じ船がすぐに東京に向かって出港するのでそのまま船に残って、帰路での接岸にかけるのだとか。
港からキャンプ場までの間で開いていた店は土産物屋だけ。朝食をとりたかったが、酒とつまみしか手に入らなかった。キャンプ場についてまずはテントを設営。きれいなキャンプ場で居心地は良さそう。
地図を見ると町までは少し遠く、朝食抜きで歩きたくはない。仕方がないので、夜用に買った八丈島の焼酎とつまみで午前中から酒盛り。
昼になって、町に歩いて出かける。椰子並木に南の島を感じる。
あちらこちらに咲いているハイビスカスの花にもまた南の島を感じる。
途中、伝統織物である黄八丈の工房をのぞく。黄八丈は室町時代からの記録がある伝統的絹織物で、島に自生する植物で染色している。
食事処を探しつつ歩いたが、結局見つからず、スーパーマーケットへ。そこで見つけたのが八丈名物の島寿司、ネタがたれに漬け込まれており、あめ色になっている。後日リピートしてしまったほど美味かった。
港やスーパーのある三根地区を抜け、島の中心地である大賀郷に入る。立派な石垣の家だなと思ったら、宗福寺という寺だった。源為朝の子次郎の創建というこれも由緒ある寺だ。
旧役場の近くにあるのが、島酒の碑。島酒とは焼酎のことで、現在では八丈島の名産となっている。この碑は、その焼酎の由来に関係したもの。
墓地の片隅にあったのが、戦国大名宇喜多秀家の墓。豊臣家五大老の一人だが、関ケ原の合戦で敗れ、八丈島に島流しとなった。彼が八丈流人の最初で、以降数多くの罪人が八丈島に流された。
八丈島の文化は流人に深くかかわっており、この島を知るにはやはり歴史民俗資料館は外せないところだ。興味深い展示物が多く、久しぶりの博物館を堪能。敷地内は小さな野外博物館にもなっており、古い民家などを移築してあった。
ここまでは歩いて回ったが、八丈島は歩いてみて回れる広さではない。バスもあるが本数が少なく、行けない場所も多いので、レンタカーを借りることにした。八丈島は2つの火山からなる島で、まずは南半分を車で一回りすることにする。町を抜けるとすぐに道は曲がりくねった山道となり、ぐんぐん標高をあげていく。そうして登龍峠(のぼりょうとうげ)に到着。町の向こうに見えるのが八丈富士。その左上には八丈小島も見えている。
周回道路から末吉地区に進む分岐の先が島の東端石積ケ鼻で、八丈島灯台がある。
末吉地区の洞輪沢(ぼらわざわ)港には洞輪沢温泉がある。キャンプ場のシャワーは水しか出ないので、この温泉にゆっくり浸かった。非加熱非加水のかけ流しだそうで、気持ちの良い温泉だった。
港に停泊中の漁船からおいしそうな魚がどんどん降ろされていた。
周回道路に戻り、名古の展望へ。ここからは先ほどの洞輪沢や小岩戸ケ鼻の景色が素晴らしい。
次の集落である中之郷に入る辺りでもう暗くなってきたので、下車観光はあきらめて先に進み、島半周を終えて大賀郷へ。小さなスーパーをいくつか見たが、昼に行ったスーパーが一番大きく品ぞろえも良かったので、そこで買い出し。
ガスコンロを持ってきていたが、ここのキャンプ場にはかまどもあるし、先人の置いていった七輪や炭もある。せっかくなのでかまどと七輪で炊事をする。写真はムロアジのくさやを焼いているところ。
つまみは写真の量で十分だと思ったが、調子に乗り飲み過ぎて、この後さらにトビウオのくさやなども焼いた。