Touring & Travel diary
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四国ドライブ4日目 伊予市中山-内子町-宇和島市津島-愛南町 165km
2022年06月24日(Fri)
行程図 6時前に起床し、昨日買っていた弁当を食べる。のんびりしすぎて出発は7時近くだ。国道56号を内子方面に走り、内子町に入ってすぐのところに鳥居元橋(とりいもとはし)がある。愛媛県南部には伝統的な屋根付き橋がいくつかある。そんな中、この鳥居元橋だけは幹線国道沿いにあり、訪れることが容易である。ただし、この橋は20年ほど前に復元された新しい橋。交通量の多い国道沿いで駐車スペースもないところでゆっくりとは見られず。
国道を分岐し、田舎の山道である県道224号を進んでいく。さらに県道226号に入ってすぐに茅葺きのお堂があった。森のお堂と呼ばれる薬師堂だそう。22年ぶりに葺き替えた茅葺き屋根はきれいだが、建物は1844年に移築されてきたもので築年が分からないほど古いものだ。
さらに進んで弓削神社に到着する。14世紀創建の神社で、現在の社殿は明治30年(1897年)に改築されたもの。聖地の雰囲気がある神社も良いがここに来たのは、神社の敷地に渡るために架けられている太鼓橋と呼ばれる屋根付き橋を見るためだ。傷みが激しく、通行止めになっていたが残念だ。
一番奥まったところにあるのが、石畳清流園。昭和30年代頃までは30数基の水車が回っていた一級河川肱川支流の麓川(ふもとがわ)に、その姿を再現しようと有志の手によって水車小屋や屋根付き橋が復元された公園だ。管理が行き届いておらず、敷地の大半が草に覆われてきているのが惜しいところだが、それが廃村のような雰囲気を出しており面白い。水車は3基復元されているが、今も動いているのはこの一つだけ。
屋根に草の生えた屋根付き橋は趣があるが、これも復元なのでそう古いわけではない。
往復4キロの寄り道をすれば、内子町に残る3つの伝統的な屋根付き橋の1つである下の宮橋に行けるが、予定よりも遅くなっているので、カット。県道243号に入って内子の中心部へ向かう。その途中にあるのがこれも伝統的な屋根付き橋の1つである田丸橋だ。1944年に架けられた橋は今も生活道路として使われており、前後の道もきれいになっている。
9時に道の駅内子フレッシュパークからりに到着する。ここは色々な設備の整った人気の道の駅だが、目的はこに車を停め、明治時代を通じて製蝋業や製紙業で繁栄し今も当時の面影を残す内子の街を散策することだ。
まずは大きな吊り橋を渡って小田川の対岸に渡り、知清公園を歩く。
公園を抜けて再び小田川を渡ると伝統家屋が並ぶ内子の中心部が見えてくる。伝統家屋が並ぶ街並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。楽しく散策できる街並みには、商いと暮らし博物館やビジターセンター内の展示など昔の様子を知ることもできる施設も整備されている。
1916年(大正5年)に建てられた内子座は現役の芝居小屋で、2015年には重要文化財に指定されている。興業のない日でも内部見学できるはずが、残念なことにコロナの影響で閉まっていた。
森文醸造は1893年創業の味噌、酢、醤油など伝統的調味料を作っており、伝統家屋の店や蔵などが道の両側に並んでいる。寂れた感のある街並みで唯一業務用の車が並び活気があった。
明治から大正時代にかけて内子では高価な白蝋の生産が盛んだったが、その生産のために天日で蠟をさらす必要があった。盗難防止の為にさらし場を囲った板垣は、蝋垣(ろうがき)と呼ばれていた。当時は至るところにあったこの蝋垣も今は2軒に残るのみ。
内子最大の製蝋業者であった本芳賀家住宅は明治22年建造の屋敷だ。現在ここは公開されていないが分家であった上芳賀家住宅(明治27年建造)は資料館となり公開されている。
道の駅に戻って清流に面した木陰のテーブルでランチをとる。道の駅の売店で美味しそうなものが色々あったが、昨日もしもの登山に備えて買ったパンなどが残っていたので手持ちの食料だ。
ドライブ再開、大洲を素通りし、国道56号を南に進む。並行して走る高速道路が西予から無料だったので乗ってみる。宇和島南ICで降りて遊子水荷浦の段畑を見に行く計画だったのに降り損ね、次の津島高田ICまで行ってしまった。インターチェンジを降りてすぐに道の駅津島やすらぎの里があり、とりあえず入って、計画を練り直す。
車を停めたすぐそばにヤマモモの樹があり、たわわに実をつけている。誰も取らないようで地面は落ちた実がたまっている。食べ頃に熟した実をもいで食べるとうまい! これは良いとパクパク食べたが、妻はそれだけでは飽き足らず、私が地図を見て計画を立てている間にたくさん収穫していた。
津島の中心部に向けて走り出すと前にバスが走っている。このバスのデザインが先ほどまで楽しんでいたヤマモモで笑ってしまう。今は合併して宇和島市になっているが2005年まで津島は北宇和郡津島町という独自の自治体で、町の木がヤマモモだったという。今もバスのデザインに使っているほど津島におけるヤマモモは名物なのだ。
津島を通過し、御荘(みしょう)で国道56号を離れ、御荘湾に沿って西に進む。14時過ぎに外泊(そとどまり)到着。石垣の里として知られる外泊の外観は日本離れしており、昔から訪れたいと思ってきた場所の一つだ。
石垣に囲まれた石畳みの道を登って行くと御荘湾の景色が広がってくる。養殖の筏が何種類か見えるが何の養殖なのか。真珠や牡蛎、そしてハマチもこの海で養殖されているらしい。
幕末に入植が開始され、明治12年には入植が完了し、ほぼ今と同じ戸数の集落となったという。建物は建て替えられたとしても石垣は150年くらい前のものがほとんどなのだ。
国道に戻る途中で紫電改展示場というのがあったので立ち寄ってみる。紫電改は太平洋戦争末期に開発された戦闘機。海底から1978年に引き上げられた機体は、日本で唯一現存する機体だ。
最後はドラッグストアに立ち寄って砂糖を購入し、愛南町一本松にあるホテルにチェックイン。
温泉宿なので一休みして湯に浸かる。一人でのんびり浸かっていると全身刺青のお兄ちゃんが入ってきた。全身刺青だが温和で気のよさそうな感じなので漁師だろうと思っていたら、さらに刺青の兄ちゃんが2人。知り合い同士だったようで、彼らの会話からやっぱり地元の漁師だと分かった。漁師が刺青を入れる伝統があるのは知っており、地元漁師の為に刺青禁止にしない温泉があるのは知っていたが、当たったことはなく、少し驚いた。地元では当然の伝統文化として刺青を入れ、その為に各地の温泉に入れなくなっているのは理不尽でかわいそうなことだと考えつつ、見事な刺青に見入ってしまう。
地域割りで宿代は半額なので、夕食もホテルで。旅行者向きというよりはビジネス客の多いホテルなので豪華さはないが、普通においしい夕食だ。