Touring & Travel diary
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05秋 北近畿東海»
明石-大久保-加古-社-篠山-板坂峠 90km
2005年09月22日(Thu)
篠山方面に向かう事を決め出発、しかし出発時点ではルートを迷っていた。とりあえずR175北上を予定したが、R2との分岐で気分が変わり、先月18日に走ったルートに変更。先日と同じ場所でやはり迷いかけ、大回り。未だ正しい道は分からない。
2時間近く走って、県道567号沿いにあった平池公園で最初の休憩をとる。池にはきれいなハスが一面に咲いていた。帰宅後、古代遺跡から出てきた種が発芽したハスで知られる大賀ハスがある池として、ここが有名だったことを知る。しかも、ちょうど開花時期であったのだ。しかし、私が眺め写真を撮ったハスは別の種類。大賀ハスはちょうど対岸辺りに咲いていたらしい。うーん、失敗、見たかったなぁ。
社の中心部で右折し、R372に入る。ここからは登りがきつく、ママチャリでは何とか押さずにすむ傾斜で、結構きつい。峠手前にあったダム湖の湖畔に小さな休憩施設。峠までがんばるつもりだったが、モニュメントがおもしろいので休憩。「田楽の舞」を模したモニュメントで、祭りのときに演じられるものらしく、機会があれば見に来たいものである。
峠を越えると旧多紀郡今田町(こんだちょう)、日本六古窯のひとつである立杭焼の里である。小学生低学年の頃、私はここで陶芸をし、はまった。その後学校でも陶芸部に入り、一時は土いじりを熱心にしたものだった。30数年ぶりの訪問で、非常に懐かしい気分だが、もちろん覚えている景色などまったくない。でも、道路に並んでいた陶器のモニュメントは立杭焼きの特徴が良く出ており、それを見ていると幼い頃の思い出が色々とよみがえってきた。
今田から一気に篠山市街までと思っていたが、最初の峠からあとは小さな峠の連続で、足に来てしまい、一番小さい最後の峠を上りきれず。情けない気分で、自転車を押す。
篠山市街に入り、まず篠山城址に登って大休止。再建された大書院なる建物が公開されているが、入る気もせず、のんびりと街の景色を見下ろす。たいした景色ではないが、疲れて果てていると観光する気分にもならないのだ。
力が回復してから、まずは観光案内所でもある大正ロマン館を訪れた。大正時代の洋風建築の建物である。観光案内のパンフ類は揃っていたが、係りの人はずっと電話中で・・・。
武家屋敷群は、落ち着いた裏道に点在している。観光目的で維持している風でもなく、非常に好感が持てる。大きな変電施設があり、違和感を和らげるために描かれた模様が、壁にある。江戸期の漆喰壁を模しているのだが、回りの武家屋敷にはそんな場所がなく、ちょっと笑えた。
一番有名な妻入商家群は悪くないが、期待はずれ。「まるで江戸時代の町を歩いているよう」とあったが、そこまでの趣きには欠ける。妻入商家は、間口が狭く、奥行きがあるのが特徴だから、中に入らないとダメなのか。でも絵になる建物が多いのは事実。だからこそ有名なのだろう。期待を高めていなければ、普通に気に入っていたかも。
篠山のスーパーで、夕食用の弁当と朝食用のパンを買って出発。県道702号はのんびりした田舎道。R173に入ると一気に交通量が増えた。コンビニなどもあり、ここまで来てからの買い物でも良かった。100番台の国道を馬鹿にしすぎていたかな。
テントを張れそうな場所を探しながら走るが、中々場所がない。松茸の季節だからか、田畑を獣害から守るためか、山に囲いをしてあり、人目を忍んでテントを張ろうにもそのような場所に行けないのだ。兵庫県の最後の集落で山をあきらめ川に入ろうと思ったが、川にも柵が・・・。日が暮れてしまい、もう良い場所を探すのも困難なので神社でと思ったら神社にも柵が・・・。
真っ暗になっても場所が見つからず、板坂峠を登り始める。暗いので自転車で登ると良いわき道を見逃しそうなので、最初から押し。意外に早く、場所も見つからないまま、県境のトンネル到着。京都府に出て、自動車通行止めの旧道に入り、一旦テントを張ろうとしたが、なんとなく熊が出そうな気がして止めた。
次のトンネル手前で、車の走れる旧道へ入った。林道が分岐しており、林道へ。少し登ったところの平地でようやくテント設営。熊の出る可能性は大して変わらないが、こちらは向こうが避ける気ならいくらでも場所があるので、安心。最初の場所はあまりにも狭かったのだ。