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沖縄(2013-14)慶佐次-赤崎-辺戸岬-茅打バンタ-大宜味村-屋我地島-古宇利島-今泊-今帰仁城址-備瀬-瀬底島-円錐カルスト

2014年01月04日(Sat)
 夜中から雨が結構激しく降っていたが、明け方には雨足が弱まり、起きる頃にはほとんど止んでいた。写真は今回借りた日産NOTE、新しくて良い車だが、プリウスと違ってフルフラットにならないのが車中泊には残念。
日産ノート
 まずはヒルギ(マングローブ)林を見に行く。夜半は潮が引き、ヒルギは陸地に生えているように見えたが、この時間は水没していた。
慶佐次湾のヒルギ林
 遊歩道が出来ており、気楽に歩けるのが良い。
慶佐次湾のヒルギ林遊歩道
 散策をした後、展望台で昨日買っていたパンなどで朝食をとり、本島最北端を目指し出発する。この区間、道路沿いに米軍演習所が続いている。入口付近で座り込みを頑張っている人々の姿もあり、改めて沖縄の基地問題の深刻さを感じる。
 海の見渡せる場所で一休み、そこから美しい海岸の風景が見えた。赤崎の手前当りのようだ。この景色にひかれ、海岸近くで再び停車。しばし海を眺める。
国頭村赤崎付近
 沖縄最北端辺戸岬の手前でちょっと寄り道。ビーチ方面に急坂を降りたが、目的はビーチではなくヤンバルクイナ展望台・・・ヤンバルクイナを見るのではなく、ヤンバルクイナ型の巨大展望台を見ること。老朽化のため探訪台に登ることはできなくなっているが、かなり目立っており、実際にはわざわざ回り道をしなくても辺戸岬からでも良く見えた。
ヤンバルクイナ展望台
 沖縄最北端辺戸岬到着。霞んではいたが鹿児島県に属する与論島も見えていた。この岬に建つ碑は、「日本祖国復帰闘争碑」、沖縄返還時に建てられたものだそう。
日本祖国復帰闘争碑
 辺戸岬からは本島西岸を南下する。岬近くにある見所が茅打バンタ。久米島にもあったがバンタというのは崖のことで、すごい断崖になっている。
茅打バンタ
 ここから南の地区から辺戸岬方面に行くにはここを通らねばならないが、100年前までは昔は岩の裂け目を利用した道しかなかった。その道は、人がやっと通れる幅しかなく、反対から来た人と会うと戻らねばならないため「戻る道」と呼ばれたそう。1913年に拡張されたという車道が今もあるはずだったが、通行止め。結局戻って30年ほど前に出来たトンネルを通って先に進んだ。
 村のたたずまいに魅かれて立ち寄ったのが、大宜味村の喜如嘉(きじょか)。伝統家屋が多く、バナナ畑やシークワサー林が素晴らしい風景を構成している。車を停めしばし散策、この村にも移住者がこだわって建てた家らしきものが多くあり、ラダックという名の店まであった。ここが芭蕉布として有名な集落なのを知ったのはたった今、喜如嘉の読み方を調べていてのこと。伝統文化を保っている村だからこそ集落のたたずまいも魅力的だったんだと納得した。
喜如嘉
 大宜味村辺りは道路が海岸沿いを走る部分も多く、ちょうど晴れてきたので海が非常にきれいだった。
大宜味村の海岸
 道の駅「おおぎみ」で昼食を取ろうと立ち寄ったが、シークワーサなど土産物屋の試食品が色々美味しく、空腹感がなくなってしまったので、ジューシー(沖縄の炊き込みごはん)のおにぎりだけ食べて、さらに先に進む。
道の駅「おおぎみ」
 国道58号線から分かれ、屋我地島(やがじしま)へと進んだ。サトウキビ畑が広がる村で、刈り取り作業をやっていた。
屋我地島サトウキビ畑
 屋我地島ビーチはきれいで、この辺りの集落も住みたくなる場所だ。
屋我地島ビーチ
 屋我地島から古宇利島にも橋が架かっている。離島の生活は橋が架かればずいぶん便利になり、どんどん変わっていくのだろうと思っていたが、橋で繋がっていてもやっぱり離島の雰囲気はどの島にもあるのが良い。
古宇利大橋
 古宇利島の高台からの景色は、青い海に橋や島が映えており、本当に美しい。
古宇利島より
 島の逆側には白砂のビーチがあり、夏には人気のビーチなのだと思われる。ホテルも多く、シャワー設備もちゃんとしていた。
古宇利島ビーチ
 ビーチ近くの岩にはたくさんの穴が開いている。円筒状空洞地形と呼ばれているもので、こんな穴がたくさん集まる場所を見たことがなく、おもしろかった。
円筒状空洞地形
 屋我地島を経由し、本島に戻る。戻ったところにあるのが、道の駅ならぬ橋の駅。久米島では、ゴーヤは夏野菜だから今の時期にゴーヤチャンプルはないと断られたが、この橋の駅には、土産コーナーに大きなゴーヤが並んでおり、食堂にはゴーヤチャンプルがあった。当然、昼食はゴーヤチャンプルを注文。
ゴーヤチャンプル
 この橋の駅リカリカワルミは、古宇利大橋やワルミ海峡を一望できる場所にあり、良い休憩となった。
ワルミ海峡
 今帰仁村のパンフレットの表紙に集落の小道を抜けた先に広がる真っ白な砂浜と海が見える写真があり、その場所に行きたくなった。地図を見ると海に向かって垂直な道の海ぎわまで建物がありそうな場所は今泊(いまどまり)集落だけだったので、訪れてみた。今泊は、ふくぎの木に囲まれた雰囲気の良い集落で、地図の通りに何本か海に向かって垂直な道がある。しかし、パンフレットの場所がどうしても見つからない。この集落じゃなかったのかと思いつつ、村人に尋ねると、「この道だよ」と自信をもって教えてくれた。ただし、集落内の道まで真っ白な砂が来ているのは台風の直後であり、10年ほど前に建った家が写っていないことから、10年以上前の写真だとのこと。写真には騙されたが、この集落は全体的に美しく、散策できたことは良かった。
今帰仁村今泊の小道
 今泊の見所のひとつが、この大木。樹齢300年から400年と推定されているコバテイシの木で天然記念物となっている。
今泊のコバテイシ
 今泊から少し山側に入り、今帰仁城跡を訪れた。琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産登録されている9ヶ所で一番北に位置している。
今帰仁城跡
 他のグスクの城壁は一般的に琉球石灰岩という新しい時代の石が使われているが、今帰仁城の城壁は古生代石灰岩が使われており、化石が出てくることがある。入口付近の石には大きなアンモナイトがあり、ちゃんと看板まであった。
アンモナイト
 平郎門と呼ばれる正門は1962年に修復されたもの。
平郎門
 門をくぐって場内に入ると桜並木があり、1月なのに咲き始めている。今年は1月2日に開花したそうで、平年よりずいぶんと早いという。
今帰仁城の彼岸桜
 今帰仁城跡に併設されている歴史文化センターには興味深い展示があり、ここもじっくり見学した。
 再び海岸沿いの道に戻って、本部町備瀬のフクギ並木を見に行った。今泊と同じような並木だが、こちらのほうがずっと続いており、規模は大きい。しかし、観光客の多さには驚いた。
備瀬のフクギ並木
 フクギ並木から一本外れると海に出て、夕焼けを楽しんだ。
備瀬の夕焼け
 備瀬のすぐ南にあるのが海洋博公園、メインの美ら海水族館は見学に2時間かかるということなので明日訪問となるが、広い公園なので駐車場に車を停めて中を少し見た。沖縄とは思えない混雑度でびっくり。
 海洋博公園から名護方面への道は渋滞! 一度夕食をとろうと店に入ったが、満席で断られガッカリ。まだ閉まっている店が多いから仕方ないのか・・・。中々夕食の店が見つからないので、スーパーである程度買い出しし、橋で繋がっている瀬底島に渡った。以前の瀬底ビーチはキャンプーに人気の場所だったが、禁止されてしまったので車中泊をしたというブログを見たことがあり、車中泊ならできるかなと思ったのだが、ビーチはオフシーズンで駐車場の手前から入れなくなっていた。仕方なく、海洋博公園近くの海の駅まで戻ったが、広い駐車場が満車状態で車中泊は難しそう。とりあえず食事をしようと思ったが、食堂も満席。順番待ちの紙に名前を書いて土産物屋をぶらついたが、結局あきらめて出発することにした。海岸沿いは開発されつくして快適な車中泊が出来そうにないので、内陸部の円錐カルストを目指すことにした。途中で再び営業中の店見つけ、やっと夕食。沖縄そばのトッピングに、ソーキ肉・軟骨ソーキ・三枚肉の3部位(ブイ)を組み合わせて、「V3」(ブイスリー)と名付けたそばが、年末に賞をとったとかで、それを注文。食べごたえがあり美味かった。
V3
 円錐カルストの駐車場は、どの地図にも乗っていない、新しくできたものだった。誰も来ないだろうと思われる山の中にあり、駐車場にテントを張ってしまおうかと迷ったくらい静かで寝やすい場所だった。夕食はとっていたが、取れない場合のために色々食料も買っていたので、今夜も泡盛とつまみを楽しんだ。写真はてびち(豚足の煮つけ)
豚足
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