Touring & Travel diary
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四国ドライブ9日目 紫雲出山-善通寺-金刀比羅宮-満濃池-綾川-塩江温泉 78km
2022年06月29日(Wed)
行程図 明け方目を覚ます。東の空がだんだん赤くなってくる。風はなく、海には波がなく、湖のように見える。
雲で見えないかと思っていた日の出も無事に見えた。
日の出を見終わってからコーヒーとお菓子の軽い朝食をとる。キツツキが木をたたく音や鶯の声が聞こえてくる気持ち良い朝だ。駐車場には我々の車だけで、良い景色も独占だ。
歩いて紫雲出山の頂上へ。頂上からの展望は素晴らしい。瀬戸大橋も霧に霞んでいるがよく見えている。
山頂近くに紫雲出山遺跡館がある。ここには約2000年前に弥生時代の高地性集落があったそうで、竪穴式と高床式の住居が復元されている。
香川といえば讃岐うどんだ。専門店の多くは昼間しか営業していないが、朝から営業している店もある。ルート上にあり、有名店でかつ朝から開いている店で探すと善通寺に一軒だけ見つかった。クチコミでの評価もかなり高い宮川製麺所である。セルフ形式で最初は戸惑ったが、店のおばあちゃんが美味しい食べ方を解説してくれたりする楽しい店だった。
うどんを食べるために善通寺の中心部まで来ていたので、善通寺にもお参りする。善通寺は、1200年以上前に創建された由緒あるお寺で、四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもある。弘法大師御誕生の地だそうで京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとなっている。基壇から相輪までの高さが約43メートルの五重塔は、国内の木造塔として3番目の高さである。創建以来幾たびか再建を繰り返し、1902年に建てられた現在の塔は4代目だという。
「善通寺境内の大グス」は香川県の天然記念物で樹齢千数百年と伝えられており、創建の頃からあったのだろうと言われている。
善通寺から南に進むと金刀比羅宮(ことひらぐう)のある琴平町である。金刀比羅宮の門前町は狭い道路で入り組んでいる。駐車場は基本有料だが、琴平公園の駐車場のみ無料となっている。小さな駐車場で入れないことが多いらしいが、無事に駐車できた。
駐車場近くには旧金毘羅大芝居(金丸座)があった。1835年に総見された、現存する日本最古の芝居小屋だそう。
金刀比羅宮の由緒についてはいくつかの説があるが、8世紀初めの説が信憑性が高そうに思う。江戸中期になると各地で金毘羅(こんぴら)講が組織されて「金毘羅参り」が盛んに行われるようになった。伊勢神宮へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだったといわれている。
ひたすら参道を登る。初めて来たのは高校1年の時の自転車旅行の時で、登る前から足がへとへと、本当にいつ着くんだろうと心細くなりながら登った記憶がある。その時の記憶のせいか思ったよりは楽に上の方までやってきた。
重要文化財である旭社の前には座って休める場所があり、休んでいたら団体さんが来て、ここで一緒にガイドさんの説明を聞くことができた。ここは神仏分離以前の象頭山松尾寺金光院では金堂だった建物であり、森の石松はこの建物を本堂と見誤って帰ってしまったという逸話があるそうだ。
そしてようやく金刀比羅宮のご本宮に到着する。象頭山の中腹に鎮座する本宮まで、参道の石段は785段(標高251m)あるという。実は行かなかったが、さらに上には奥社があり、奥社まで登ると石段は1368段(標高421m)だったそう。
下りは元気なので写真を撮りながら進んでいける。上の方ですれ違う人々は辛そうなのに、登り始めたばかりの人々はウキウキしているのが極端で面白かった。
日本最大の灌漑用のため池としてし知られる満濃池(まんのういけ)もその歴史は古く、金毘羅宮と同じ大宝年間(701年-704年)の創築といわれている。現在のダムは明治3年に復旧させたものから3度にわたる嵩上げ工事をし、1959年に完成したもの。暑い日だが、水面から吹く風が心地よかった。
昼食は綾川にあるイオンモールのフードコートで。あまりに暑い日だったのでフードコートの冷房が心地よく、結構長居してしまった。
今夜の宿のチェックイン時間に合わせ出発し、塩江(しおのえ)温泉の「いろりの宿魚虎」へ予定通りの16時に到着した。まずは温泉。小さな宿ではあるが、温泉は新しく気持ちよかった。家族風呂なので何年ぶりかで妻と一緒に浸かった。
この宿も料理自慢の宿である。先日の「せいらんの里」と同じく最初に並ぶ料理だけでも素晴らしい。
そして食べ始めてから出てくるのが、揚げたてのてんぷら、焼肉、そして鮎の塩焼き。ここでも基本的には地元の食材を使っており、大満足の夕食となった。