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蒜山-米子-松江-出雲市所原町 130km

2005年11月02日(Wed)
気温0度 凍えるように寒い朝。昨夕到着時に9度だった気温は0度まで下がっていた。また霧が立ち込めているが、冷え込みには関係ないようだ。蒜山の中心部でスーパーを見つけ、パンを購入。昨日の夕食は豆と菓子だけだったので、すぐに食べる。通学時間と重なり、大勢の中学生が道端に自転車を止めパンを食べている私の脇を通り過ぎていく。「おはようございます」とか「こんにちは」とか挨拶をしてくれる生徒も多く、うれしくなる町だ。家の数に比べ子供がずいぶん多い。過疎化が進んでいないようで不思議な農村。家も新しいものが多く、景気も良さそうな高原なのだ。
 道の駅風の家で歯磨きと洗顔。テントを張った場所にもきれいなトイレはあったが、水があまりに冷たく、サボっていたのだ。霧も晴れ、暖かい日が射し、気温は上昇、ポカポカしてきた。県道58号との分岐を過ぎるとR482は登りがきつくなり、交通量も急に減った。いよいよ峠道といったところだ。すでに標高の高い高原にいたため、のぼりはそれほどきつくなく、順調に峠に到達。鳥取県に入った。

大山 峠の展望はなく、休まずに下り始める。かなり急で、車がほとんど来ない広い道なので、ついつい飛ばしてしまう。途中大山がきれいに見える場所があり、一旦休憩。さらに下るとさらに大山に近づき、もう一度停車し写真を撮る。
 江尾でR181に合流。ここからは平坦だが、基本的には川沿いの下りなので、ママチャリでも快調に飛ばせた。溝口の辺りで対岸に大きな鬼の像があり、おもしろいなぁと思っていたら、端の脇には鬼のブロンズ像があり、橋の名前は鬼守り(きもり)橋。ここ伯耆町は日本最古の鬼伝説がある町として町おこしをしているようだ。

 国道沿いに福市遺跡があり、そこで見学と休憩。弥生時代後期(3世紀)から古墳時代中期(5世紀)にかけての集落跡と墳墓群ということだが、復元住居が一棟ある以外は、土台の石しか残っておらず、見応えには欠ける遺跡。でも見学者は皆無で、きれいに整備された公園でのんびりさせてもらった。
旧加茂川沿い 米子市旧市街はガイドブックにも載っている白壁土蔵や江戸時代の廻船問屋であった後藤家などは、写真から想像していたよりは小さく、あれっていう気がしたが、それ以外にも細い路地の両側に古い家が立ち並んだ場所が多く、のんびり散歩するには良い町だと感じた。米子城跡のある湊山の中海側は遊歩道になっており、景色もよく、のんびりしたサイクリングに良い場所だった。
 米子市からは国道9号線。交通量が多く、また予想外に坂が多い道で、きつかった。途中の遺跡などに寄ることも考えていたが、面倒になり、ひたすら先を急ぐ。松江のスーパーで弁当を買い、宍道湖畔でのんびり昼食。そこからはアップダウンがなくなったが、交通量は相変わらず多い。

 斐川町の道の駅湯の川で足湯に使ってのんびり。ここには深海から汲み上げているミネラルウォーターが無料で置いてあり、非常にうまかったのでボトルの水も入れ替えた。
神庭荒神谷遺跡 道の駅の近くに358本の銅剣が出土し、考古学会を驚かせた神庭荒神谷遺跡がある。すぐ近くと聞いていたのに、標識に従っていくと新しい広い道に迂回をさせられ大変だった。2キロくらいの場所に行くのに、無意味な坂をいくつも通る8キロ! 30分近くもロスしてしまった。車のことしか考えていない標識は本当に腹が立つ。遺跡にあるキャンプ場に泊まるつもりであったが、迂回させられたことで気分が悪く、泊まるのは止めた。資料館に入る時間はなくなってしまい、遺跡も写真の取れるぎりぎりの時間。こういった場所はのんびり見学し、当時のことに思いをはせるのが良いのに、これでは・・・。

 勢いで遺跡を離れ、国道9号に戻った時には暗くなっていた。街中にはテントを張りやすい場所がなく、ナイトラン。遺跡に泊まれば良かったと思うが、もう遅い。
 出雲市の揖斐川の河原がテントを張れそうだったが、国道から下りる場所が見つからず通りすぎてしまった。神戸川沿いの道に入り、ここの河原で良いと思ったのだが、下流の方は大規模工事をしており、入れそうにない。R184と合流してから掘り返している場所もすぎ、露営に良い草地が多かったが、どの降り口にも“工事中に付き関係者以外立ち入り禁止”の看板とロープ。夜に泊まって早朝出なら問題なさそうだが、ダメな場所には入らないのが基本。開き直ってさらに走る。
 良い場所が見付からぬままどんどん走り、山間部に入ってしまった。結局泊まったのは杉林の中。良く走った一日である。
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